財団法人グルー基金
私は須賀利の小学校高学年の頃から物理学者になりたいと思っていました。
三重県尾鷲市立須賀利中学校を卒業後、同じ下宿をするなら身内がいる所が良いということで、
浜松に兄がいるので、静岡県立浜松北高に越境入学しました。
中学ではバレーボール部に(これしか運動部がなかったので)入っていましたが、
高校では最初、文化部の物理クラブに入りました。
学者になるには、大学の後に大学院へ行って、博士号を取らないといけないのだろうぐらいに思って、
まずは大学へ入るために受験勉強をしようと思ったからです。
しかし、夜中に寝ている間にふくらはぎがつるようになり、顔色も青白くなり、
あきらかに運動不足でした。また、田舎から浜松に出てきたばかりで、
友達もなかなかできませんでした。高校1年の夏休みが終わって2学期が始まった直後、
休み時間に担任の田中先生が、
「岡本、君は顔色が良くないし、友達も少ないようなので、運動部に入りなさい。」
とアドバイスしてくれました。そのそばに柔道部の宮崎君がいたので、「それなら、
ぜひ柔道部にどうぞ。」と誘われ、そのまま柔道部に入ることになりました。
柔道部を引退したのが、高校3年の5月か6月頃だったと思います。それから、
本格的に受験勉強を始めることになりました。
ところが、高校3年の夏休みが終わった最初のホームルームの時間に、担任の松浦先生が
財団法人グルー基金(現グルー・バンクロフト基金)
というところがアメリカの大学へ4年間留学する奨学金を出すので応募者を募っているとアナウンスしてくれました。
それまで、学問の中心はアメリカだから、
いずれアメリカへ短期間でも行く必要が出てくるだろうぐらいは思っていましたが、
英会話など全然できない自分ですから、大学から留学するなど考えたこともなかったのです。
しかし、もしかしたら、これはチャンスかもしれないと思い、応募することにしました。
試験は約2ヶ月後でしたので、英語科の先生方に会話のカセットテープを借りて、
ヒヤリングの練習を少しやる程度の準備しかできませんでしたが、運良く合格しました。
そういうことで、私は偶然にもアメリカの大学(そして、その後に大学院)へ行くことになったのです。
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